トークショー「昭和エンターテインメント再発見」

~コーディネーター・藤田敏雄氏より開会の挨拶~
皆さん、渡辺音楽文化フォーラムと民主音楽協会の共同主催によるトークショーにようこそ。若い時分に「明治は遠くなりにけり」という言葉をよく耳にしたことがありますが、平成という時代になって実感することは、いまや明治どころか昭和が遠くなりつつあるということで、10日ほど前に森繁久弥さんが他界されたばかりなのに、昨日また「ターキー」の愛称で親しまれた水の江滝子さんの訃報に接して、ますます「昭和は遠くなりにけり」と思わざるをえません。
そこで、昭和一桁生まれの、音楽、演劇、映画に関する達人にお集りねがって、昭和という時代はどういう時代だったのか話し合っていただくことにしました。
出演者の顔ぶれは、音楽評論家で、例えば「キャッツ」や「ライオンキング」など実は劇団四季のロングランミュージカルの仕掛人でもある安倍寧さん、そして劇作家・演出家、というよりも、あの「ベルばら」こと「ベルサイユのばら」を大ヒットさせて宝塚の黄金時代を築き上げた、前・宝塚歌劇団理事長でもある植田紳爾さん、それから映画評論家で、キネマ旬報の名編集長としても健筆をふるわれましたが、黒澤明や勝新太郎やスウェーデンの名監督であるインゲマル・ベルイマンといった、一筋縄ではいかない映画人とも親交を結んでおられた白井佳夫さん。
なお、司会進行は安倍さんにお願いすることになっています。
では、皆さん、拍手で登場をお迎えください。

パネリスト プロフィール

安倍 寧 (あべ やすし)

音楽評論家、もと劇団四季取締役、現エイベックス・グループ・ホールディングス顧問、エイベックス・ライヴ・クリエイティヴ取締役。慶大文学部卒。同大在学中の1955年から内外のポピュラー音楽、ミュージカルなどについての評論活動をおこなってきた。四季時代は企画・国際担当として数多くの英米ミュージカル日本版の公演に係わり合いを持つ。またエイベックス20周年記念事業「BLUEMAN GROUP IN TOKYO」のエグゼクティブ・プロデューサーを務め、2年間のロングランを成功させた。著作は「ショウ・ビジネスに恋して」「ミュージカル I love you」など多数。
http://blog.avexnet.or.jp/abe/

植田 紳爾 (うえだ しんじ)

1933年1月大阪府生まれ。1956年早稲田大学文学部卒業。1957年宝塚歌劇団入団。1974年「ベルサイユのばら」、1977年「風と共に去りぬ」などの大作でヒットを打ち出し、ドラマ作者の第一人者として活躍。1996年宝塚歌劇団理事長に就任。2004年宝塚歌劇団理事・特別顧問に就任、現在に至る。ニューヨーク、香港、中国などの海外公演では定評のある日本物で手腕を発揮、2005年の韓国公演では「ベルサイユのばら」の海外公演を果たす。2007年4月には日本演劇協会会長に就任し、日本の演劇界の振興に努めるとともに、歌舞伎、文楽など外部公演の構成・演出も数多く手掛ける。1996年紫綬褒章受賞。

白井 佳夫 (しらい よしお)

1932(昭和7)年、神奈川県生まれ。早大演劇科卒。映画雑誌「キネマ旬報」で編集部員10年、編集長8年半の後、フリーの映画評論家に。湯布院映画祭、徳島テレビ祭、福祉映画祭 in NAGOYAの創立にかかわる。映画「無法松の一生」の戦時下の国家検閲と、戦後のアメリカ占領軍の検閲カット部分を、映画の上演とともに復元する公演で全国50箇所を巡演。東京芸大で「日本の古典映画」を3年間講義する。著作は「日本映画黄金伝説」「黒白映像 日本映画礼賛」「銀幕の大スタアたちの微笑」など多数。

コーディネーター プロフィール

藤田 敏雄 (ふじた としお)

1928年生。京都出身。宝塚歌劇団、劇団四季を経て、主としてミュージカルの制作(脚本、作詞、演出)に携わり、日本の創作ミュージカルの草分け的存在である。主要作品は"俺たちは天使じゃない""洪水の前""歌麿"など作曲家いずみたくとのコンビによるものが多い。また放送作家としての仕事も多く、1964年にはテレビ朝日のオーケストラ番組"題名のない音楽会"を立ち上げ、35年間にわたって企画構成を担当。著書に戯曲選集"リリー・マルレーン"(話の特集社)などがある。民音「シルクロード音楽の旅」の構成演出を全10回にわたって担当。