顕彰事業

第15回表彰 授賞式の模様:菅野よう子氏受賞挨拶

みなさんはじめまして、菅野よう子と申します。
この度、第15回渡辺晋賞に選んでいただけて光栄です。
皆様にお会いできるのもとっても楽しみにしてまいりました。
今日ここに来るまでの間、あまり人の姿が無くて、3月のこの頃に人のいない様子を見ると思い出すのは震災のことで。当時私は六本木で撮影に立ち会っていたんですけれども、一緒にいたデザイナーの実家が南相馬にあって、撮影の後心配になって、どうなったかと調べてた16時過ぎ位ですね、CNNの映像で南相馬に大きい津波が来るのをそのデザイナーと見るという経験をしまして、映画かというような全く実感が無い出来事でした。

その後も自分の心と体が切れてしまったような、そういう何週間かを過ごすことになりました。例えば猫は緊張すると思わず自分の体の毛を思わず舐めてしまうのですけれども、私の場合は、緊張状態のときにやったことは、いつもと同じく音楽を作ることでした。震災のあともすぐに曲を作って、初めてだったんですけれどもYouTubeに投稿したところ、震災を受けて最初に発表された曲としてすごく拡散されまして、世界中から「がんばれニッポン」というメッセージと、この曲を使った“アート”という形で皆さんから応援のお返しがあって、その経験は、『曲』というのは歌ったり聴いたりするだけではなくて、使って楽しむ“アート”にしてお返ししていただけるという大きい経験として残っています。
普段はタレントさんとかCMのような商品を素敵に見せる仕事をしているんですけれども、その時は初めて自分のために、自分の不安に手当てをするような、そういう気持ちで作った曲でした。それがその後1年程して『花は咲く』というプロジェクトにも繋がっていると思います。
この賞を以前に受賞された川村元気さんにお会いする機会が最近あり、「どういう風にプロデュースをされているのですか。」とお聞きしたところ、「みんなが気分よく仕事ができる仕事場をつくることがプロデューサーの一番の仕事だ。」と仰っているのを聞いて、普段私は文句ばかり言って何でも自分でやってしまうので、自らを省みて反省をしてみたんですけれども、、、、詞に口を出して作詞家に怒られ、脚本が気に入らないと言って脚本家に怒られ、いつも迷惑をかけていると思います、周りの人に。でもこの賞をいただけたことで私のその我儘に「プロデューサー」という仕事の名前があって、「それでいい」と、「それがいい」という風に褒めていただいたような気がして、ものすごく嬉しいです。本当にありがとうございます。
全てのことはここにいらっしゃる皆様、レジェンドたちの「プロデューサー」としての振る舞いを見て、現場で覚えてきたことです。今日いらっしゃらなくて残念なのですが、秋元康さんは、私がおニャン子クラブのバックバンドをやっていたものですから、すぐそばでその魔法を見ていました。そういった様々なことが細胞に入って、今の自分があると思います。
渡辺晋さんの名前に恥じぬよう、この賞を汚さぬよう、これからも精進したいと思います。
ありがとうございました。

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