第7回表彰 授賞式の模様:大里洋吉さんのご挨拶
昨年、突然美佐会長から呼び出されまして、受賞のお話を頂きました。僕は渡辺プロに勤めていましたので、卒業生といいましょうか、教え子のようなものです。身内の僕がこの賞を頂く事は出来ないと、再三お断りしたのですが、結局は有難く頂くことになりました。
審査員・諸先輩・後輩の皆様、そして今日こちらにご参列の、沢山の僕とお仕事をさせて頂いている方々を前に、今日初めてお目にかかる方々もいらっしゃると思いますが、本当に僕のようなものでいいのかと今でも思っております。
渡辺プロには昭和44年に入社し、「10年程マネージメントやエンターテイメントを勉強したら、将来はアメリカに行って何かやりたい」と、実は漠然と不埒にも考えていました。入社してワイルドワンズさん、梓みちよさんら優れたアーティストのマネージメントの経験をさせて頂いていたころの思い出です。
当時僕達からすれば、晋社長と美佐副社長は雲の上の、ほとんど口を利いたこともない、利いて頂いた事もないような立場の方でした。マネージメントの人達が集まっているところの一隅に、ドーンと社長・副社長のお部屋があって、ガラス張り。我々がやっていることは全部社長・副社長は見ていらっしゃる。社員は何をやっているかというと、キャッチボールやってたり、足を机の上に乗っけてテレビを見てたりする、そんな時代でありました。会社ってこんなものなのかな?という、想像を絶するような、自由な雰囲気の会社でした。これはホントの話です。非常に汚かったですし、荷物もいっぱいおいてありました。今アミューズもそうなんですけれども。「何なんだこの会社は?」っていう雰囲気でした。
入社3年目頃だったでしょうか、よく社長・副社長は海外に色んなお仕事で行かれてました。ロサンゼルスにお店を作ったり、サンレモ音楽祭に伊東ゆかりちゃんを連れて行ったり、世界各国を飛び回っているお二人を見て、僕はちょっとした思い付きで晋社長に手紙を出しました。「トップだけ行くんじゃなくて、若い僕らのような人間も海外に研修に連れて行くべきだ」と。原稿用紙2枚の手紙です。あの時たまたまロンドンで、イミック(インターナショナル・ミュージック・カンファレンス)という、大きなレコード業界の会合がありました。そこに美佐副社長が出席されることになっていました。社長がその1カ月位前に僕の手紙を目にされて、「連れて行け」ということになりました。美佐副社長も「面白いわね」ということで、僕と一年先輩の菊地さん(今ハンズの社長ですが)の二人が連れて行って頂きました。
「グロブナーハウスのパーティーに行くぞ!」っていう時は、「あんた達蝶ネクタイよ」と言われ、慌てて買いに行ったんですよ、スーツとネクタイを。僕は靴までは買えなくて、貸して頂きました。千人以上の世界の音楽業界のトップが集まっているという大パーティーでした。そして、その後数日間はパネルディスカッションや音楽ビジネスの色んな分科会が行われました。そういう所にいきなり連れて行って頂いたんです。それが27才の時です。
その時に本当に色んなもの、アルカザール、クレイジーホース、カジノドパリ、それから、ロンドンではヘアー、スーパースタージーザスクライスト、それから、ロッキンホラーショーも始まったばっかりで、僕が日本で想像していた以上の、物凄いスケールと内容の濃いミュージカルや芝居を、沢山沢山見ることができました。あの当時1ドルが360円でしたから僕らのごとき新入社員に毛が生えたような人間を二人も、あんな凄い世界へ連れて行って見せてくれたお二人の太っ腹が、僕の人生を大きく変えていきました。
私のアミューズという会社は、渡辺プロダクションという晋さん美佐さんがお作りになったビジネスモデルにのっとって、そのレールの上で楽に走らせていただいてきました。震災のこともありますが、最近思うのは、日本の音楽、今から40年前のあの当時、晋社長・美佐副社長がチャレンジしていらしたことを、僕達は引き継いでいるのだろうか。もしかしたら全然やってなかったかもしれないというのが最近の考えです。本当に反省しております。今、日本と世界は、SNSやネットワークで結ばれ、様々な情報が早く伝わり、文化も早く伝わります。僕が初めて連れて行って頂いた時に受けた衝撃を、今度は我々が後輩たちに返していかなきゃいけない。先程、長官からもお話がありましたが、教えていただいたことを僕らはサボっていたな、と仲間達とよく話します。それが実感です。しかし、まだまだ手遅れではないと思っています。日本の音楽はやっぱり幅が広く底が深い。ロックミュージックだけでも、欧米には絶対負けないくらいの技量があり、作曲能力・作詞能力・歌唱力・アレンジ等、全ての面で僕は引けをとらないと思ってます。ただ、海外に出す際に、着替えを持っていかなくてはいけない仕事を我々がやってこなかった、とつくづく思っています。今からやらねばならないことは、それであり、それが多分この賞に対する恩返しではないかと、肝に銘じております。
結構これでもいい年です。でも年齢はこの仕事には関係ありません。むしろ60歳を過ぎてからの方がエネルギーが出てきて困ってしまっています。そういう部分を是非仕事の方に振り向けて、今日こうやってお忙しい中集まっていらっしゃった皆様のご厚志に感謝し、恩に報いる為にも、粉骨砕身致す所存でございます。どうも本日はありがとうございました。