初代理事長について
初代理事長
渡邊 晋(わたなべ しん)
1927(昭和2)年3月2日、東京都北区生まれ。
1950(昭和25)年3月、早稲田大学法学部卒業。
1955(昭和30)年1月、渡辺プロダクションを設立し、
以降32年間、1987(昭和62)年1月31日、60歳で没するまで、社長をつとめた。
その間、様々な会社を立ち上げ、各社の代表取締役に就任。
- 1967(昭和42)年 4月
- 社団法人日本音楽事業者協会、理事長就任
- 1977(昭和52)年 3月
- 渡辺音楽文化フォーラム設立、理事長就任
- 1986(昭和61)年11月
- 芸能産業界初の「藍綬褒章」受章
- 1987(昭和62)年 1月
- 「勲四等瑞宝章」受章
- 4月
- 「年間最優秀プロデューサーを選ぶ会」特別賞受賞
- 5月
- 「藤本真澄賞」特別賞受賞
- 10月
- 「日本作曲大賞」音楽文化賞受賞
- 11月
- 「日本レコード大賞」文化賞受賞
故渡邊晋は、1955(昭和30)年1月渡辺プロダクションを設立以来、近代的な企業運営によって音楽のショー・ビジネスの世界に合理化、近代化をもたらし、音楽芸能プロダクションという新しい音楽産業を我が国に確立した先駆者であり、第一人者である。
戦後急激に乱立してきた音楽事業者に対して、ショー・ビジネスのモラルの向上及び、近代化の為の諸活動を呼びかけ、率先して自ら発起人となり「日本音楽事業者協会」の創立に尽力した。1967(昭和42)年4月、同協会の理事長に就任、以来組織の拡充、強化に努め、団体としての態様をととのえ、内部充実を図り、業界の社会的・経済的地位の向上と発展に献身。その結果、1980(昭和55)年、通産省より「社団法人日本音楽事業者協会」として認可団体となるに至った。
「音楽は世界の共通語であり、国境はない」という信条のもとに、常にひらかれた心と国際人の自覚をもって海外との文化交流を願い、世界に通用する音楽の創造を目指した。1970(昭和45)年、大阪で開かれた万国博覧会では、渡邊美佐副社長(当時)とともにポピュラー音楽部門のプロデューサーを務め、さらに東京音楽祭実行委員の任にあたり海外のアーティストを招へいしたり、カンヌ国際音楽見本市(MIDEM)への参加など、欧米音楽産業との交流を図ってきた。
一方、自ら私財をなげうって、1977(昭和52)年「財団法人渡辺音楽文化フォーラム」を設立、我が国の音楽文化への育成、啓蒙、発展に尽力した。
故渡邊晋は、頼まれればいやと言えない性格で世話役を引き受け、私利私欲を超えて人のために尽くす、信頼できる人として高い評価を受けていた。特に専門とする音楽部門に於いては高い見識を持ち、常に時代の潮流の先を的確に見透し、必要な手段を講ずる能力にまさっており、鋭い感性によって戦後の芸能文化が大きく飛躍、発展したといっても過言ではない。